物乞いにお金をあげるべきか
ヨーロッパの物乞い
ヨーロッパ、特にベルギー、ブリュッセルには物乞いが多い。
日本と違うのは、それが大人の男性だけではなく、女性や子供もたくさんいるということだ。
彼らは、難民として中東やアフリカから逃れてきたり、ルーマニアなどのEU圏内の比較的貧しい国から仕事を求めてやってくるらしい。
初めてブリュッセルにやってきたときは、相当の衝撃を受けた。毎日毎日、女性や子供たちが紙コップを持って「你好」と声をかけてくる。
先進国なのに、こんな悲しい光景が日常になるなんて、思ってもみなかった。
筆者は、まだ彼らにお金を恵んだことがない。
中学生の時に、インドにボランティアにいったとき、たくさんの物乞いに出会った。周りの大人から「一度、お金をあげると、何度もしつこく要求してくるから、恵んではいけない」言われた記憶があるからだ。
でも、ブリュッセルの物乞いは、そういうタイプでもなさそうに見える。
毎日、彼らをみていると、お金を恵むべきかどうか、迷う。
お金を恵むべきか
なぜ、そんなに悩むのか。物乞いにとって、わたし自身にとって、お金を恵むことがどんな意味を持つのかを考えてみたい。
まず、物乞い視点で考える。お金を恵んでもらえれば、
1ー1、その日一日が楽になる
1−2、つかの間の安心が味わえる
一方で、
1−3、お金を使い果たせば、明日からは同じ毎日
1ー4、人生を変えられるわけではない
では、恵む側の視点ではどうか。お金を恵むことで、
2ー1、相手の一日を少し楽にできる
2ー2、彼らと無関係ではなくなる
一方で、
2ー3、少しのお金が消える
2ー4、相手の人生を変えられるわけではない
2ー5、全ての物乞いを救えるわけではない
「2−2、彼らと無関係ではなくなる」、という視点はとても重要に感じる。
一人の物乞いと接点を持つことで、わたしはこれから彼ら、彼女らを十把一絡に物乞いとみなすことはなくなるだろう。たくさんの物乞いのうち、誰か一人が重大な犯罪を犯しても、物乞いだ、ということで憎むことはなくなるだろう。
それは、本当に重要なことだ。
近いうちに、誰かにお金かパンを恵んでみる、、、かもしれない。
その時は、相手の名前を聞いて、生涯忘れないことにしよう。
(けど、なんとなくあげない気がする。たぶん、彼らはわたしが思っているより強か。)
<別の視点>
Nyfiken 「ヨーロッパの憂い―街角に増える物乞いたち」(2014.5.16)