建築の「良さ」とは何なのか⑴
インターン先の社員旅行で、今月2度目となるパリに行った。
そして3年ぶりとなる、ル・コルビジェのアパートへ。
午後には、OMAが設計して、最近オープンしたーという小さな美術館へ行った。
この二つの作品は、時期も思想も全く異なる建築ではある。私はこれらの建築を通して、建築のディテールについて考えた。
コルビジェのアパートは、照明器具や作り付けの家具や収納、壁の塗装に至るまで、緻密にデザインされていた。そのデザインは、このアパート一室のためだけのオリジナルの設計方針によって、一貫した思想を持って設計されているように感じられた。
それゆえに、複数の色や素材が用いられているにも関わらず、それらはすべて全体のアクセントとして機能していた。
私は、このアパートにいてとても気持ちが良かったし、好きな建築だと思った。
他方、OMAの美術館は、正直入った瞬間からあまり好きにはなれなかった。
この建築もまた、ディテールに凝ったものだった。だけど、コルビジェのものと違うのは、それらディテールにまとまりがなく感じられたということだった。
四角いクッションを座椅子のように並べたベンチ、安物の合板でできた階段とアンティークの手摺、展示用のガラスを柱にベルトで固定する…など、どれもアイデアに満ちていた。
設計した人たちは、1:1のモックアップを作って、実験したのだろう。想像するに、きっと楽しかったのだと思う。
でも、全体としては私には安っぽく見えてしまった。同行した事務所の人は、これはコラージュだ、と行っていた。コラージュとして、こういったアイデアの寄せ集め、ガラクタの寄せ集めを意図的に作った、というのなら、確かに成功していると思う。
ただ、美しくはなかったし、気持ちよくもなかった。散漫だった(具体的な原因の一つとして、照明が蛍光灯だったこともあるのかなと思う)。
この二つの建築は、どちらも細部にまでこだわった建築で、おそらく原寸大での検討か現場での調整が行われている気がする。異なるのは、一貫した思想で構築されているか、単なる自己満足で終わっていないか、という点だと思った。
そして何より、建築に入った人が、気持ち良いと感じられるか、という評価基準があったか、ということだと思う。
私はOMAの建築が好きで、今の事務所にインターンの応募をする前に、OMAに応募していた。というかむしろ、真っ先に応募した事務所であった。
OMAはいつも斬新なデザインを発表し、人間と建築の新たな関係性を模索している建築事務所だと思っている。
重力に反する形態、奇抜すぎる色彩、建築ダイアグラムをそのまま立ち上げたかのような建築は賛否両論あるが、常に議論の的となり、多くの建築家と建築学生に刺激を与えている。
今回のように美術館と住宅を比べるのは、色々と条件も違うので無粋かもしれない。あと、展示内容によっても見え方はかなり変わってくると思う。
ただ、やはり私ならば、気持ちいい・美しい、と思える建築が良い建築なのだ、と確信した出来事だった。