ヨーロッパ人にとっての建築原体験とは

インターン先の事務所の手配によってスイスの建築家、ピーター・メルクリの講演を聞く機会があった。

 

英語の通訳を通して聞いていたので、話した内容の4分の1も理解していなのだけれど、その中で以下の3点が印象に残った。

  1. ETHにある家(ファサードが左右対称の妻入りの家型。作品名忘れた)の写真が、(おそらく)アルヴェルティのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂と同じスライド内に収められていた。→このあと、ファサードの話になる。
  2. "If people like street or their neighbor, the house walls will be individualized." (通りや隣人が大切ならば、その通りの住居壁(住居と通りを隔てるファサードの集合)は固有のものになる)、という言葉。
  3. 浮世絵等の日本の芸術について言及。"few line", "minimalistic"が美しいというような話。講演の締めくくりには、なぜか日本の現代音楽家久田典子さんの楽曲の動画をながして終了。

 

ヨーロッパに留学している私は、日頃から、日本人建築家とヨーロッパの建築家はなにが違うのだろうと考えている。1.と2.を聞いて、実感として浮かんだものは、”彼らの建築的原体験はやはりファサードである”ということ。そのうち、自分の考えとしてまとめようと思う。

3.について。ヨーロッパの建築家たち、および街の人々は私の想像以上に日本に対して関心を持っているらしい。人と話している時、店で買い物をする時、なにかと「JAPAN」を引き合いに出してくる。日本人として、日本文化や芸術の面白さは今までも感じてきた。それがこちらの人々にどんな風に映って、どんな刺激を与えているのだろうか。19世紀にはじまったjaponismは、今も健在なのだろうか。

 

 

余談として、ピーター・メルクリは平面図が徹底して左右対称なのが面白かった。同じスイス・ドイツ語圏の建築家で、名前も同じピーター・ズントーは、感性に訴えるような(ポエティックな)建築をつくるイメージがあった。スイス建築には、メルクリの平面のようにロジカルな面もあることを知り、俄然興味が湧いた。